介護福祉士は、専門的に介護の仕事を行うために取得するのが一般的な見方である。
しかし、介護福祉士の資格を持っていなくても介護の仕事はできる。
介護福祉士の資格取得のモチベーションは、介護技術のスキルアップや介護現場での評価が上がることくらいなものだ。
介護福祉士の資格を取得したからといってサービス業としての心構えが身についている証明にはならないし、介護技術自体も総論的な部分しか身につけられないので個別のケースに応用できるかといったらそのスキルが身についているという証明にもなっていない。そもそもサービス業としての心構えや個別のケースに対する応用力は、資格取得や特定の研修を修了したからといって身についていると証明できるものではない。
介護福祉士の資格取得後もフォローアップの研修などあるが、介護業界という非常に狭い世界でスキルを磨くことに邁進するのは、より汎用性を失うものになりかねない。
介護福祉士の資格は、介護の仕事をするためではなく、自分自身の介護を考えるために取得するというモチベーションで挑むのが健全である。
自分を大切にするために必要な知識として介護福祉士の資格を取得する価値の方が高い。
介護福祉士は、自分を大切にするために取得する資格なのだと思えばモチベーションアップに繋がる。
「自分のためならわざわざ資格を取得する必要はない」
そう考える人はそれでいいと思う。その人にとっては介護福祉士の資格は必要ないのだ。
わたし自身、介護福祉士の資格を取得しているが、自分のために必ず取得しておいた方がよい資格だとは思わない。
わたし自身、介護福祉士の資格を取得した理由は、介護技術のスキルアップや以前勤務していた介護現場での評価が上がることにあった。
しかし、介護というのは本質的には人それぞれの選択に委ねられている。
ご利用者様が「したいこと」をサポートして、「やりたくないこと」にまで過干渉するのはよくない。
そうであれば、今までの介護福祉士の仕事というのは、どこか過干渉な部分があったのではないだろうか。
そうであれば、介護福祉士という国家資格を盾にして、他人にとってとんでもないお節介をしてしまっている場合や、非常識な振る舞いをしてしまっていることがあるのではないか。
排泄介助の時に、「たくさん出ましたね!すっきりしましたね!」という声掛けが典型例だ。排泄介助をポジティブな表現の声掛けで行うことに集中し過ぎて結果として余計に羞恥心を煽る結果となっている。
介護福祉士資格は、介護職としての専門性のためではなく、自分自身の介護を考えるためのきっかけ程度で捉えるくらいがちょうどよい。