子どもの仮面を被った親

 英語で人のことをパーソンという。

 このパーソンという言葉の語源はペルソナといい、仮面という意味がある。

 とても面白い。

 人は仮面を被った生き物なのだ。

 親子関係を考えてみよう。

 子どもは小さい頃、何もかも知らない世界に興味津々で様々な行動に出る。

 その行動が実に危なっかしいので親はよく子どもを叱って注意する。

 親は子どもを注意して危険を回避させる。

 しかし、これが続くと親は子どもの無限の可能性までも潰してしまうことがある。

「起業なんてやめておけ!そんな危険なことはするな!」

「YouTuber?インフルエンサー?プログラマー?そんなよくわからない仕事はするな!」

 そして、親の分かる範疇のことを子どもに進める。

「公務員や銀行員がいい」

「安定した会社に就職しなさい」

「いい学校に入りなさい」等々・・・

 これらは子どもがまだ小さかった頃と同じ理屈で子どもと関わってしまっていることに問題がある。

「いつまでたっても子どもは子ども」

 この理屈が抜けないのだ。

 その背景には、

「いつまでも子どものままでいてほしい」

という親のエゴが存在している。

 そして、そのようなエゴの背景には、本質的にその親は親という仮面を被った子どもであったと言えるのだ。

 本当の親であれば、子どもの揚げ足取りなどしない。

 子どものやりたいことを出来る限り支援して見返りを求めないのが本来だ。

 なぜそれが難しいのか。

 それは、まだ自立できない状態で親という仮面を被って役割を演じているからだ。

 親でいるためには、その人自身の親から自立していなければならない。

 自立していないと、自分の課題を親や子どもに引き受けてもらおうとしてしまうのだ。

 自分の課題は自分で解決する力をもつことで、仮面を外すことができる。

 仮面を外すことで、現状を受け入れられる。

 人はある種防衛本能として仮面を被っている。

 仮面を外し、本当の自分をさらけ出せば、他者との衝突は免れない。

 仮面を被ることで、自分を守っているのである。

 しかし、いつまでも自分の殻に閉じこもっていれば、他者に干渉し、傷つけてしまうことだってある。

 他者を傷つけることで身を守っている人さえいるくらいだ。

 そんな百害あって一利なしの世界を生きるくらいなら、いっそのこと自らの仮面を外し、他者との衝突を引き受ける覚悟をもって社会と対峙する方が潔い。

「本当の自分は見せられないゼ」みたいな中二病的な思考は捨てた方がむしろかっこいい。

 ダサいくらいがちょうどいいのだ。

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