思えばわたしは、進学や就職先を決める根拠として、自分の意見もきちんと守りつつ、他者の納得も得ようとしていた。
しかし、そのやり方が欲張りであることに、退職をきっかけに気付いた。自己都合による退職をすることに、他者の納得できる理屈は求められない。こればっかりは、自分の意見で動かなければならない。
今までは、全て期間が定められていた。学生時代のバイトだって、大学を卒業することを理由に辞めた。大学を卒業するまでという期間を定めることができた。
それが、退職は違った。わたしにとって退職する決断はまさしく自己都合で自分の意見のみで最終判断を下した。全てわたしの責任において。
わたしは、自分の意見はいつも最終的な責任の所在が自分であると思い込んでいた。
全て自分だなんてとんでもない。わたしは、自分の意見にどこかで保険をかけていた。他者の納得という保険を。
しかし、退職をきっかけにしてたくさんのことを考えた。そして、今までの思い込みに気付いたのだ。自分は自分に対して真正面から向き合っていなかった、と。
「自分はどうしたらいいのか?」ではなく、
「自分はどうしたいのか?」という問いを自分にぶつけられるようになった。
つまり、他者の納得を得られる「正解」ではなく、自分自身に込められた正解を考えられるようになったのだ。
退職するにあたって、他の選択肢はもちろんたくさんあった。しかし、そこではじめてわたしは、
「自分はどうしたいのか?」
という問いを自分にぶつけることができた。そして今も、その問いを大事にしている。
自分の意見を守りつつ、他者の納得も得ようなど、虫が良すぎる。そんな都合のいいように人生が送れるなら苦労はない。何かを犠牲にしなければ、得るものは何もない。
取捨選択を自分の意見をもって判断できる力が大事だ。
このことに気付けたわたしの退職は、わたしにとって善き肥やしだ。