何でも量にこだわりすぎてしまうと、方向性を見失うことになる。
例えば、お受験。
子どもの時から勉強を強要され、量を求める世界で生きていくと、それが常識となってしまう。
本人は「勉強は楽しい」と言っていても、それがその人にとって真実であるかは疑わしい。
自発的に内側から沸き立つ感情で取り組まなければならない。
仕事も同じだ。
「この仕事をやりたい!やらずにはいられない!!」というくらい沸き立つ感情をもって仕事に取り組みたい。
逆にそうした感情が沸かないのであれば、その仕事がどんなに社会的に有益であってもその仕事をしている本人にとって有益でなければ、そのような仕事は有害だ。
福祉の仕事を考えてみよう。
「本当に福祉の仕事がしたい!福祉の仕事をやらずにはいられない!!」というくらい沸き立つ感情をもって働く者にとっては福祉の仕事は苦しいどころか楽しくて仕方がないものになるだろう。
他方で、「福祉の仕事は社会の役に立っている」「社会の役に立つ仕事がしたい」という考えで働く者にとっては福祉の仕事は場合によってはつらく苦しいものになりかねない。そうした思いで働いている限り、その仕事はむしろ福祉業界にとって有害なのである。
「社会の役に立つ」とか「人のため」ではなく、自分自身のために働くほうがよっぽどよい。
そして、自分のためを実現するためには、質を重視しなければならない。
「自分はいま楽しめているか?」
「現状は満足か?」等々・・・
自分自身と真正面から向き合う姿勢が大事だ。
それには、量を求めてはならない。
勉強の量や経験の量を求めても、それは単なる蓄積にしかならない。
それはむしろ重荷になることさえある。
量が増えれば増えるほど不健康だ。
血糖値が上がれば危険な状態なのに、偏差値が上がればお祝いというのは本来おかしな話なのだ。
ちなみに最高学歴で大学院に進学することを「入院」と謙遜することがある。
わたしたちはしばしば自分の保身のために量をついつい求めがちなので、意識的にブレーキをかける用意が必要だ。
量を求めることは心の不安定さを指し示すことになる。
心の少欲知足が大事だ。