物質的な豊かさよりも精神的な豊かさの方が大事だとよく聞く。
便利な世の中になればなるほど、反比例するように心の方は満たされなくなってくる。
それは、何を意味するか。
自分と向き合ったり、様々なことを思いめぐらすことは、とても体力を使う。
物質的な豊かさはそうした心の体力までも減退させた。
物質的な豊かさの中には、「勉強」によって得られた「知識」も含まれると思う。
より多くの「知識」をもつことで精神的な豊かさを保とうとするのである。
しかし、それは本当の精神的な豊かさではない。
たくさんの「知識」を手に入れても精神的な豊かさは手に入らない。
だから、たくさん「勉強」すれば豊かになるということはない。
「勉強」はあくまで手段であって、「勉強」が目的になってしまえばそれは物質的な豊かさと同じものでしかない。
あらゆる情報が手軽に手に入る今の時代、単なる「知識」はモノと大差ない。
「知識」の詰め合わせは、すでに世の中にあふれている冷蔵庫と一緒だ。
豊かさとは実体験だ。
実際の体験を通してでしかわたしたちは考える機会をもたない。
かと言ってより多く実体験を積むことが大事かと言えばそうではない。
豊かさとは量ではない。質なのだ。
だから、老化や障がいによって「できない」ことがたくさんあっても、その人自身が満たされていればその人は豊かさを手に入れられており、他方で、何でも「できる」ことがたくさんある人であっても、その人自身が満たされていなければその人は豊かさを手に入れられていない。
豊かさとは実体験とその質なのだ。
決して量にこだわってはいけない。